「賢者は歴史に学ぶ」といいます。
歴史を振り返ってみると、聖徳太子が活躍した時代(6世紀後半から7世紀初頭)が、日本の置かれた現状と酷似していることに気付きます。
日本は、天皇家の国家統一がまだ不安定で、崇峻天皇が暗殺されて女帝の推古天皇が即位した際に聖徳太子が摂政に就任した頃です。
当時、東アジアは隋王朝が中国全土を統一し周辺諸国に強い影響力を持ち、朝鮮半島では高句麗、新羅、百済など諸国間で権力争いが続いていました。
現在、大陸では中国が力をつけて覇権国となり、朝鮮半島では北朝鮮と韓国が争っています。大陸も朝鮮半島も日本列島とその海域を虎視眈々と狙い、日本に対して様々な形で圧力をかけてきます。当時の状況と似ていますね。
聖徳太子は、日本を独立国家として隋王朝はじめ世界各国に認めさせて、正常な外交関係を樹立したいと思いました。それには、まず混迷する大和国家を完全に統一しなければならないと考えました。
そのために、「冠位十二階」(603年)と「十七条憲法」(604年)を制定します。その過程には激しい政治闘争がありましたが、大和国が日本国へ大きな飛躍を遂げることができたと記されています。
遣隋使・小野妹子に持たせた国書に「日出処天子至書日没処天子無恙云々」と書いて隋の煬帝と堂々と渡り合います。当時まだ小国の日本は「日出」ずる国であり、煬帝と同じ階位の「天子」がいるということを宣言しました。
これからの日本は世界各国と堂々と渡り合える体制を構築しなければなりません。内政でくだらない権力闘争をしている場合ではないでしょう。
今こそ自主憲法を制定し真の独立国家としての理念を確立すべきだと考えます。 「国民が望んでいないから」そんな理由では永久に先送りになります。自主憲法の制定こそ政治主導で行うべきです。聖徳太子に学び、新しい憲法を旗印に日本を再構築しましょう。
日本の存在自体が無くなる前に。
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