1905年1月28日、竹島について日本政府は島根県への編入を閣議決定し、同年2月22日に島根県知事が所属所管を明らかにする告示を行いました。
この件について国連も国際社会も何ら意義を唱えることはありませんでした。
1952年(昭和27年)1月18日、韓国の李承晩政権は一方的に「李ライン」を設定しました。それは日本に主権が回復する同年4月28日の3ヶ月前の出来事でした。それ以降は韓国政府が不法占拠を続け、昨今では海洋基地の建設などを行っています。
戦後のどさくさに紛れて竹島は韓国に奪われたのです。北方領土も同様です。その事が明白にもかかわらず、日本政府は積極的に領有権を主張してきませんでした。その間、政権を担当してきた自民党の責任も大きいと思います。
2005年(平成17年)に閣議決定と告示から100周年を記念して、島根県議会は2月22日を「竹島の日」とする「竹島の日を定める条例」を制定しました。
「領土問題を何とか解決したい。」私は当選直後から動き始めました。
平成20年7月、竹島を初めて領土問題として盛り込んだ中学校社会科の「新学習指導要領解説書」を発表することができました。前年に安倍総理(当時)から文部科学省に指示していただいたものです。
これから問題解決に向けて少しずつ進むところでした…
(つづく)