院長の決断

週末は久しぶりに選挙区での活動となりました。

熊本県内で最初に新型コロナウイルスへの感染が確認された20代女性の看護師が勤務する「熊本託麻台リハビリテーション病院」を、地元の齊藤博市議と共に訪問し、平田好文院長はじめ看護部長・作業療法士・事務長に、当時から現在までの話を伺いました。

保健所から院長に『陽性』だと連絡があったのは2月21日。まず《病院名の公表》が議論となりましたが、平田院長は、一番大事なのは患者さんや地域への信頼であり、公表しないという選択肢はなかったそうです。

その反響は大きく、電話での問い合わせは100件を超え、外来や入院の患者や家族からは感染を不安視する声が多数あったのは想像できます。

その後の徹底した感染症拡大防止策によって、同僚や入院患者への感染は確認されず、女性看護師の発症からわずか2週間で診療再開に至りました。ところが、再開初日の外来患者はわずか4名。地域住民でさえ病院の前を避けて通る文字通り《風評被害》によって病院経営が心配に。一時期は職員の子供が保育園の登園を控えるよう求められることもあったそうです。

世間が平静を取り戻し、現在では外来も入院も患者が戻っています!情報を隠さなかったことが、結果として患者や地域住民の安心や理解を得られる近道になったのではないでしょうか。

20代女性看護師ですが、熊本市民病院にて生死を彷徨う状況から回復し、現在は元気に職場に復帰していました!人工呼吸器が外れた際は、同僚職員全員が涙したとか。

病院名の公表後、全国各地の医療機関でも医療従事者自身の感染が発生していますが、当該病院の事例が模範として紹介され、ほとんどの病院が迷いなく病院名を公表するようになりました。コロナ禍の初期における院長の決断は大変意義のあるものだったと思います。