昭和42年の佐藤内閣の方針で初めて「武器輸出3原則」が表明されました。
- 対共産圏諸国
- 国連決議で武器輸出が禁止されている国
- 国際紛争中の当事国またはその恐れのある国
に対しては武器輸出を行なわない。
つまり、3原則対象地域以外の国に対しては武器輸出してもかまわないという考えでした。
その後昭和50年代になって、世界情勢が東西対立から緊張緩和へと流れが大きく変わった一時期、三木内閣の方針で新たな考え方が表明されました。
- 3原則対象地域以外の地域については武器の輸出を慎む
- 武器製造関連設備の輸出は、武器に準じて扱う
つまり、武器及び武器に係る一切のものについて輸出は認めないという考え方です。これは現在も引き継がれています。
しかしその間、中国の軍事費大幅増強、北朝鮮の脅威、ロシアの再軍事大国化など、世界情勢は大きく変わりました。
同盟国である米国との係わりにおいて一部分だけ見直しが行なわれています。
昭和58年、中曽根内閣において(日米同盟の強化)
- 米国に対する武器技術供与は3原則の例外とする
平成10年、小泉内閣において(北朝鮮のテポドン対策)
- ミサイル防衛(BMD)について日米間で共同開発・生産を行なう場合は3原則によらないこととする
今後、尖閣諸島の領土問題や東日本大震災による長期に渡る財政難と自衛官の不足、長引く不況など新たな課題をどう克服していくのか。「武器輸出3原則」を切り口に考えてみます。