年頭所感

令和7年(西暦2025年)謹んで新春のお慶びを申し上げます。旧年中は大変お世話になりました。

昨年は防衛大臣として年を越し、元日に発生した能登半島地震への対応から新年が始まりました。中国やロシアの軍用機による領空侵犯、北朝鮮による度重なる弾道ミサイル発射など、憂慮すべき案件が矢継ぎ早に発生しましたが、その度に懸命に措置してきました。

昨年4月、伊豆諸島東方海域で海上自衛隊のヘリコプター2機の墜落事故により8名の搭乗員が死亡。誠に痛恨の極みです。葬送式ではそれぞれのご遺族とお会いし、生前の功績を偲びました。この事故は私の胸に深く刻まれたところです。

また、「戦略3文書」遂行のため、防衛力の抜本的強化や、30カ国以上の同盟国・同志国との連携強化に取り組みました。次期戦闘機の国際共同開発に向けた政府間機関設立に関する条約を日英伊で締結しました。

第50回衆院選では6期目の当選を果たすことができました。後顧の憂いなく防衛大臣に専念し、一年余り選挙区を不在にしていました。安定した結果を残せたのは後援会のご尽力の賜物であり、あらためて厚く御礼申し上げます。

自由民主党では安全保障調査会長、組織運動本部長代理、国際局長代理などに任命されました。憲法改正実現本部では幹事長を務めます。少数与党の立場ですが、国民投票に向けて機運を盛り上げてまいります。

衆議院では安全保障委員会と文部科学委員会に所属となりました。安全保障委員会では与党の筆頭理事を務めます。昨年末の臨時国会に続き、今年の通常国会でも円滑な委員会運営に尽力する所存です。

7月には参議院通常選挙が行われます。まずは熊本選挙区の必勝に向けて着実に取り組みます。一方で、少数与党で政治的に不安定な衆議院も早期解散を否定できません。「衆参同日選挙」に備えて常在戦場の覚悟を持って準備を進めます。

令和7年 元日

衆議院議員 木原 稔

大竹耕太郎の目標

熊本市出身の大竹耕太郎投手(阪神タイガース)激励会が開催されました。今シーズンは24試合に登板して11勝7敗(防御率2.80)、移籍して2年連続2桁勝利は立派なものです。

大学卒業時は福岡ソフトバンクホークスの育成選手(4位)でした。当時400万円だった年俸も9,000万円に大幅アップになったとのことです!

かつて済々黌高校野球部ではエースとして夏春2回の甲子園出場を果たし、私もアルプススタンドで母校の校歌を歌える機会に恵まれました。早稲田大学野球部でもエースとして活躍し、東京六大学野球で楽しませてもらいました。そして今、阪神タイガースにおいても、昨年のリーグ優勝に大きく貢献するなどチームにとって欠かせない存在になりつつあります。

「いずれメジャーリーグに挑戦します!」

迷いもなく語る大竹投手の果てしない夢が現実となる日が楽しみです。彼にとって、それはおそらく夢ではなく目標なのだと思いました。

衆議院安全保障委員会

衆議院には安全保障委員会、参議院には外交防衛委員会があります。与野党の委員(国会議員)が政府(防衛省や外務省)に対して、外交・安全保障関連の質疑を行う場です。

また、政府提出法案(閣法)の審査も行われます。質疑・採決を経て衆議院・参議院それぞれの本会議に上程されて再び採決されます。賛成多数となれば成立です。

委員の質疑に対して、防衛大臣や外務大臣は誠実に答弁をしなければなりません。昨年、私は防衛大臣として臨時国会や通常国会で数百問の質問に答弁してきました。

今年の臨時国会から、衆議院安全保障委員会の委員を代表する「理事」の中でも与党側の「筆頭理事」として、委員会運営に関わることになりました。

委員室にて、中谷防衛大臣や岩屋外務大臣の答弁する姿を拝見すると、昨年の立場と逆転していることに不思議な感覚を覚えます。

駐日トルコ大使が帰任

コルクット・ギュンゲン駐日トルコ共和国特命全権大使が任期を終えて年内に帰国するとのこと。帰任の挨拶に来られました。

渋谷区神宮前にある駐日大使館での様々なイベントに招待され訪問し、また、海軍艦艇の日本帰港の際には乗艦するなど、トルコと最も交流した日本の国会議員は私だそうです。

1985年、イラン・イラク戦争の最中、テヘランから215人の日本人を救出したのがトルコ航空でした。その時の機材(DC-10)の模型を大使からプレゼントされました!

アンカラの外務省で、新しいポジションに着いたギュンゲン氏と再開することを楽しみにしています。

昔あそび

帯山西小学校区の子供達と竹馬や羽根つきを楽しみました。

「どうして竹馬(タケウマ)っていうと?」

ステンレスとプラスチックで作られた「竹馬」しか知らない子供にとっては、素朴な疑問だったのでしょうね。