全拉致被害者の即時一括帰国を求める国民大集会

曽我ひとみさんの言葉が胸に刺さりました。

「母は来月93歳になりますが、半世紀近く一度も会えないなんて本当に悔しくてたまりません。少しの時間でもいいので私に親孝行をする時間を与えてください。」

日朝首脳会談から22年が経過しましたが、今年も状況を変えることはできませんでした。国会議員として忸怩たる思いです。

政府が認定している安否不明拉致被害者は12人。健在な親世代は横田めぐみさんの母親(早紀江さん・88歳)と有本恵子さんの父親(明弘さん・96歳)の2人だけとなりました。

被害者や家族にはタイムリミットがあることを強く意識しなければなりません。

親世代の家族が存命なうちに、全ての被害者の即時一括帰国を一刻も早く実現するよう政府に求めるとともに、北朝鮮に対して被害者全員の帰国を決断するよう求める決議を採択したところです。

日経・CSISにて講演

日本経済新聞社と戦略国際問題研究所(CSIS・米国)が共催するシンポジウムで講演しました。昨年は防衛大臣として、今年は自民党安全保障調査会長として、2年連続の講演となりました。

今年のテーマは「日本の外交・安全保障の考え方、日米関係の重要性、インド太平洋の多国間の枠組みのあるべき姿」とのこと。私は「自由で開かれたインド太平洋のためのゆるぎない日米関係」とのタイトルで講演しました。

私が強調したことは、日米が新たなリーダーを迎え新政権になっても、日米同盟の強固な関係は全く変わらないこと。むしろ、更に協力関係を強化していくことが、国際社会における責任ある大国としての使命であること。

二人のリーダーは、これまで日米同盟が、地域において、そしてグローバルな舞台において果たしてきた役割に思いを馳せ、国際社会の先頭に立って、インド太平洋地域を「協力と調和」に導くことが求められます。

私の在任中に進めてきた取組の成果や今後の課題については、中谷防衛大臣にしっかりと引き継ぎました。私は今後、党の安全保障調査会長としての立場から議論をリードし、政府に対しては激励の思いも込めて、真に必要な安全保障政策について豪速球を投げ込んでいくつもりだと話しました。

安全保障調査会長に就任

自民党内の人事ですが、「安全保障調査会長」に就任しました。前任者は小野寺五典さん(政務調査会長)です。自民党が目指す安全保障政策の司令塔としての役割となります。

本日、第1回目となる「安全保障調査会」を開催しました。同じく党内組織である国防部会との合同会議とし、掃海艇「うくしま」の火災事案等を議題としました。

ちなみに「部会」ですが、自民党は省庁に対応した機関を部会と位置付けています。国防部会は防衛省に対応しており、防衛省の所管する法案の事前審査等を行います。

今後も、わが国は力による一方的な現状変更を抑止することによって、平和を希求する国家としての責任を果たし続けなければなりません。与党の安全保障調査会長として、政権の安全保障政策をしっかり後押ししてまいります。

特別国会

一般に「特別国会」と呼ばれている国会は特別会のことで、日本国憲法第54条1項によって定められています。衆議院総選挙後30日以内に招集しなければなりません。

第50回衆議院総選挙を受けた第215回国会(特別会)が召集されました。本会議では、まず議長と副議長の選挙が行われ、衆議院議長には額賀福志郎(ぬかが・ふくしろう)議員が、副議長には新任の玄葉光一郎(げんば・こういちろう)議員が選出されました。その後の首班指名では、決選投票を経て、石破茂(いしば・しげる)議員(自由民主党総裁)が第103代首相に指名されました。

特別国会の期間は2024年11月11日から11月14日までとなりました。自民党は比較第一党であるものの少数与党となり、政権与党としては今後は厳しい国会運営となります。

私にとって6期目の初登院となりました。国民本位の円滑な審議に尽力したいと考えています。

日本初のスクランブル交差点

スクランブル交差点と言うと、「渋谷駅前交差点」が有名ですね。観光スポットとして、連日多くの外国人旅行者が訪れています。

一方で、日本に初めてスクランブル交差点が導入されたのは、1968年(昭和43年)で、熊本市中央区に所在する「子飼本町交差点」でした。

ご存知でしたか?街の中心部でもない小さな交差点で、熊本県民にさえあまり知られてない“隠れた名所”と言えます。

本日は、子飼商店街入口横に設置された記念碑の除幕式が行われました。渋谷駅前と同様に、こちらも観光名所となって商店街の賑わいに貢献することを願っています。