伊豆大島への災害派遣(2)

防衛省・自衛隊では引き続き行方不明者の捜索活動を実施中。また各省庁からの輸送支援依頼があったものは全て輸送を完了しました。

平成25年10月17日19:30現在

①第1普通科連隊(練馬)の人員約120名及び第34普通科連隊(板妻)の人員約150名、計270名により行方不明者の捜索活動を実施中。

②警視庁特科車両隊、緊急消防援助隊等(人員約100名、車両2両)を大島空港への空輸を実施。(C−1×3機で実施)

※本日の自衛隊の派遣規模:

人員約270名、車両2両、航空機8機

(延べ数:人員約350名、車両3両、航空機24機)

※他機関の空輸実績(C−1):

警察、国交、消防等の人員約210名、車両6両

伊豆大島への災害派遣(1)

防衛省・自衛隊は東京都知事からの要請により、台風26号に伴う行方不明者の捜索活動のため、東京都大島町に災害派遣部隊を出動させました。

平成25年10月17日01:15現在

①第1普通科連隊(練馬)の捜索部隊及び1次増援部隊の人員約80名が行方不明者捜索活動を実施中(夜間は投光器を用いて引き続き捜索活動を継続)。

②警察庁、消防庁及び国交省からの要請により各省部隊等の人員約100名及び資機材をC−1×3機にて大島空港への空輸を実施済。

③第1輸送隊の輸送鑑(おおすみ)が広島湾から横須賀に向けて出発(18日午前中に到着予定)。

④第34普通科連隊(板妻)の2次増援部隊(人員約70名、車両1両)が、静浜基地を離陸(C−1×3機)、到着後、行方不明者捜索活動を開始。

※派遣規模(延べ):人員230名、車両3両、航空機19機

防衛大臣政務官に就任

平成25年9月30日 22:30

総理官邸にて安倍晋三内閣総理大臣から防衛大臣政務官の辞令書を受け取りました。

翌日からお祝いの電話やメール、事務所には就任祝いの品々が続々と届けられ、どこに行っても「おめでとう」と声を掛けられます。責任重大な役職を拝命したことは政治家冥利に尽きます。これまで政治活動を支えていただいた皆様のおかげであることは承知しています。

しかし、自ら望んだ仕事とはいえ「嬉しい」というような感慨は全くありません。

日本を取り巻く安全保障上の事案が山積する中で、年内に策定する「防衛計画の大綱」や「中期防衛力整備計画」、集団的自衛権行使や国家安全保障会議(NSC)設立、官舎値上げ問題など解決にむけて取り組むべき諸課題や政務三役として判断すべき問題点を数えると喜びは一瞬にして消え去ってしまいました。

10月2日に防衛省に着任。

まず政務官として「栄誉礼」を受けました。次に敷地内にある殉職した自衛隊員が祀られている慰霊碑に心をこめて献花しました。我が国が平和であることの意義と、そのための防衛省・自衛隊の役割をあらためて考えさせられました。

明日から臨時国会が始まります。

防衛省からは自衛隊法の改正案を提出し、アルジェリア邦人人質事件の反省を踏まえて、現行の航空機・船舶に加え車両での邦人輸送を認め、また輸送中の保護対象者を拡大し、現地で面会する家族や随行の政府関係者らも武器で防護できるよう改めたいと考えています。この法案は今年の通常国会終盤で継続審議になってしまったものです。緊急事態はいつ発生するかわかりませんので一刻も早い成立に努めます。

初めての政府入りということもあり若干の戸惑いもありますが、要職を与えられた期間は安倍内閣の一員として身を引き締めて臨む覚悟です。

烏山頭ダム

熊本県は熊本と高雄を結ぶチャーター事業を行ってます。近い将来の定期便化を目指し、高雄から熊本に2000人以上が訪問します!今回は熊本空港発のチャーター機に乗り込んで台湾視察にやってきました。

八田與一氏(1886〜1942年)金沢市出身の日本人技師です。台湾人なら皆知っています。

八田氏は東京帝国大学土木科を卒業後、台湾総督府の技師として台湾に渡り、干ばつに苦しむ台湾の人たちの為に灌漑事業に取り組む仕事を与えられました。

1930年、日本統治時代の台湾で当時としてはアジア最大級の烏山頭ダムを建設しました。結果、不毛だった台南の土地を台湾最大の米作地帯に変えたのです。

その業績をたたえる記念公園が台南市にあり、公園内に八田與一の銅像と八田夫妻のお墓があります

ちなみに彼の築いた烏山頭ダムは、完成から80年以上が経過した現在でも稼働しています。膨大な建設費用の大半は、国会承認を得て日本の国費が充てられました。

こんな話が台湾には溢れています。どれだけ戦前の日本人が台湾の為につくしたか、台湾人が一番良く知っているはずてます。

東日本大震災後、台湾政府は国民に寄付を呼びかけ300億円以上の義援金(世界一)を集め、我が国に寄付してくれたのも頷けますね。

KUMADAIマグネシウム合金(2)

映画 『風立ちぬ』平成25年7月20日(土) 全国公開

映画 『永遠の0(ゼロ)』平成25年12月21日(土)全国公開

今年はゼロ戦が話題になっています。その「零式艦上戦闘機」は、大東亜戦争初期には、米英の戦闘機に圧勝し、米英パイロットから「ゼロファイター」の名で恐れられ、「世界一の戦闘機」の名をほしいままにしました。操縦士の技量も素晴らしかったのですが、やはり戦闘機は格闘性能にあります。

 

  1. 約500km/hを超える最高速度
  2. 高い運動力
  3. 約2200kmに達する航続距離
  4. 20mm機関砲2門の重武装

戦闘能力を支える突出した格闘性能は以上の通りです。なぜこれほど格闘性能を向上させることができたのでしょうか。それは軽量化による高い余剰馬力を生んだからに他なりません。

ゼロ戦に使用された素材は「超々ジュラルミン」と呼ばれるアルミニウム合金でした。この素材は住友金属工業の研究者である五十嵐勇氏が開発したものです。ちなみに五十嵐博士は熊本県玉名郡月瀬村溝上の出身です。(吉村昭・著「零式戦闘機」より)

昭和12年にゼロ戦の開発が決定され、昭和13年の設計の際に、設計主務者であった堀越二郎技師と五十嵐勇博士が、航空本部金属材料主務者の大谷文太郎博士の承認を得て、この新合金を主翼主桁の材料として採用することになりました。

(つづく)